昨日は、この前の日記のステートメントの事の流れで、あんなことを言ったものの、それならボクはどれだけその他の付随するものから影響を受けずに写真を観ているのか、いや別に受けていても全然いいのだけど、そのことにどれだけ自覚的なのか、なんてことををうだうだと考えていた。
ツイッターでリツイートやいいねするときに、アイコンが無ければそれはどれくらい変わるのか、とか。
どんな人が撮ったのか少しも知らなかったのに「すごい」と感じる写真を撮ったShin NoguchiさんやMankichi Shinshiさんはやっぱりすごいな、とか。
ボクが使っていたカメラを奥さんにあげて間もないころ、一緒に桜を撮りに出掛けて、そのとき奥さんが撮った一枚の写真がすごく良くて、でもそれはいい写真が撮れたと嬉しそうにしている奥さんの表情も込みになっているんじゃないか、とか。
言葉での発言は、誰が言ったのかはやっぱり重要で、それはアイコンを見てリツイートするのとどれほど違うのか、とか。
うまくまとまらないけど、なんかステートメントを読むことにもう少し積極的になってもいいかな、なんて思えてきたり。とか。
まとまらなくてもたかだか日記なんだし公開しようかな、どうしようかな、なんて考えていると、用があるので出かけていくというので奥さんを玄関まで見送って振り返ると、あらゆるところの照明が点けっぱなしになっていて。それを消してまわり、ドアやクローゼットを閉めてまわった。など。
そんな日だった
完全に捻挫してるなこれ。