禅とはなにか

「禅とはなにか」をなんとなく人生のテーマと定めている。

「禅とはつまり〇〇」の様にズバリ一言で言い表すことが難しい。 禅的とはなにを持って禅的と言えるのか。

それを知りたくて禅に関する書籍を何冊も読んでいるけど、いくら読んでもその輪郭ばかりが濃くなっていき、肝心の本質的なところはポッカリと開いたままに感じる。
「不立文字」といわれているように、禅というものを言葉にしようとすると、こうなるしかないのかも。実践の宗教。
「ドーナツの本質は穴」的な話を聞いたことがあるけど、それと同じで禅の本質は空っぽなのかも。とか思う。

そういえば禅の悟りを表した代表的な図として、ただ丸く筆を走らせた円相図といわれるものが使われているけど、あの絵も中心は空っぽ。ドーナツみたいに。
そもそも仏教自体「無」「空」の宗教らしい。

推しメンは曹洞宗の開組、道元。
禅について知りたいと思い、まず最初にタイトルだけで選んで観た映画「ZEN」では、道元の求法の一生が描かれていて、最初に目に映った動くものを親だと思う小鳥の如く、それをきっかけに当然のように師は道元だと刷り込まれた。 それ以来、僕にとって禅といえば、道元であり、道元が書いた主作「正法眼蔵」であり、ただひたすらに坐禅に打ち込む「只管打坐」すなわち坐禅。

でも道元を想いながらも、以前坐蒲という坐禅用の布団を手放して以来、すっかり坐禅から離れてしまっていて、少し後ろめたさを感じていた。

数年ぶりにようやく坐蒲を買い直したので、もう一度坐禅を習慣にしてみようと思う。